ああああのブログ

相場とか哲学の殴り書き。

日本の衰退

 日本の衰退は事実であるのに、これに関する良い本が現れないのは残念である。私がおよばずながら書いてみたい。まず、日本は自称、民主主義国である。自称と私があえて書いたその理由として、平等に与えられた投票権による選挙制度があるからということが挙げられるようだ。(よく、民主国ではない国に対し選挙の効能を誇っている新聞の論説を見る。)

 しかし、選挙だけで民主主義国が維持できるだろうか。そうではないと言った人が昔いた。その名をトクヴィルといったが、彼の述べたことを要約するとこうなる。例えば投票権を持つ人々が馬鹿であれば、悪い政府が出来るに決まっている。逆に賢ければ良い政府が出来る。したがって、人々の政治レベルを上げる仕組みがなければならないと彼は言ったのだ。初期のアメリカは住民自治が活発に行われていた。住民自治とは、自分の地域の政治は住民自身でやるということだ。自然、住民の政治レベルは経験で鍛えられる。トクヴィルは、これこそは民主国に必要な要素であると言った。小学生でもわかるシンプルな理屈ではあるまいか。

 ひるがえって日本を見てみよう。現代日本は歴史上まれに見る中央集権国である。中央集権というのは、政治は中央から発せられるということだ。住民の政治レベルは低いままに置かれる傾向が発生して当然のものである。そして現代日本は政治に無関心と言われ、投票へ行こうという呼びかけがさかんに行われている。しかし、そもそもなぜに無関心なのだろうか。それは、政治が中央から下々へ発せられる以上、人々は政治の蚊帳の外に置かれるからではなかろうか。政治と日常的なかかわりが無くてどうして人々が関心を持てるだろうか。また、仮に関心を持ったとして日常と関わりの無いものを議論するということは空論になりがちなのではなかろうか。

 まぁ、どのように無関心になったかはこの辺で筆を置くとしてとにかく無関心であることは事実である。民主主義国であるにもかかわらず、多数者が政治に無関心とは無責任なことである。多数者は政治に責任を持たない、そういう国が衰運を辿ると言うのは当たり前、必然のことであろう。

 が、どうして世間はそれ(日本の衰退)を認めたがらないのか。彼らは日本を褒めたりするTV番組を好むようだ。それこそが日本が衰運を辿る大きな証拠でもある。彼らは現実を直視したくないのだ。苦しさと向き合いたくない、何も背負いたくない、義務を持ちたくないというのが彼らの思想なのである。

 逆に、自分から義務を背負いこんだ時代と人があった。例えば幕末の志士がそうであろう。彼らは誰に頼まれたのでなく自分から救国の志を抱き艱難に飛び込んでいった。それゆえに明治時代で日本は列強に並ぶまでの興隆をしたのである。

 自分たちの未来や現状に関心が無い人々が政治を支配している国が上下どちらに行くかは明らかであり、われわれはいずれ非常な困難と出会うであろう。(が、困難は人を成長させる側面も持つ。)