ああああのブログ

相場とか哲学の殴り書き。

資本主義・民主主義であるという幻想

 コロナは大変な危機ではあるが、もう顕在化したと言っても良いのではなかろうか。

目に見えさえすれば対処もしやすいというものだ。(日本はまだ油断が見られるが)

最も危険なのは、危機が目に見えていない場合ではなかろうか。

相場で例えれば、悪材料を想定せずにロングポジションを積んでいるようなものだ。

油断と慢心が負けを呼ぶのである。逆に、危機を認識していれば対応もしやすい。

だからコロナの次の危機を想定していきたい。

 

 現段階における参加者の油断と慢心は何か?それは日欧米が資本主義国であり、民主主義国である(したがって、我々は正しい。)という幻想を持っていることだと私は思う。まず、われわれは資本主義なんだろうか?これは幾人かの人が指摘していることだが、中央銀行のやっていることは共産主義的だということだ。中央銀行が株価を支えたりすれば、通常の資本主義国ならば淘汰されるような企業も生き残ってしまう。そのようなわけのわからないことをやって破綻したのが多くの共産主義国なわけであるが、それとどう違うというのであろうか?

 シンプルに言って、資本主義とは何か。誠実な契約の履行が資本主義である。(資本主義は儲ければ正義みたいなことを稀に見るが、たわごとにすぎない。そんなことを社会の多数がすれば社会は衰退するに決まっている)

 経済成長期を見れば、良いもの、良いサービスを作ってきたからこそ社会が経済成長をしたのである。誠実な仕事の積み重ねがまっとうな資本主義なのである。中央銀行が株を買ったり、ドルを刷ったりすることは誠実な仕事か?いつか破綻するに決まっている。

 次に、あまり指摘が見られないことだがわれわれは民主主義なのか?ということだ。私はすでに民主主義は言葉に過ぎないと思っている。大前提として、社会を指導するものは賢くなければならない。愚かであれば、社会は衰退する。小学生でもわかる理屈だ。では、現在の民主主義の国民は賢いのであろうか。政治に精通しているのだろうか。以前にも書いたことだが、民主主義は地方分権がセットでなければならない。自分の地域のことは住民自身が政治をすれば住民の政治レベルが上がる。住民の政治レベルが高ければ、良い候補者も生まれるし、良い候補者を選ぶ眼力も養われる。したがって、賢明な政府が出来る。が、特に日本はだが住民自身の政治など無くもっぱら中央に委ねているのが現状である。政治に疎い国民による民主主義は信頼出来ないに決まっている。なのに、中国や北朝鮮、中東を批判するとき彼らには選挙がないとか民主主義ではないというステレオタイプな批判が持ち上がる。これが我々の持っている最大の油断・慢心でなくてなんであろうか。若者は選挙に行けとかそういう話ではないのだ。我々の住んでいるシステムの基盤がおかしいのである。

 

 おそらくコロナは収束して一服感は出るだろうが、次なる危機が潜んでいることは意識していたい。