ああああのブログ

相場とか哲学の殴り書き。

ローマはなぜ滅びたか

 カルタゴを滅ぼす前の勃興期のローマの元老院では、議題の軸には「義」があったと言う。他国から助太刀を求められた場合、その国を助けることは正義にかなっているのかということが真面目に論じられたのだ。その頃のローマの国民性も篤実で勇敢であることが当時の本にもありありと描かれている。例えば、軍規である。ローマ軍では勝手に逃げたら死刑である。武器を捨てても死刑。これが上から一方的に決められて恐怖で縛られていたのではなく、兵士達から強く支持されていたという。こういう兵士が弱いはずがなく、かつ、元老院が決定する戦争には明らかな大義があった。ローマ勃興期の兵士や市民に生命力がみなぎっていることがうかがわれるではなかろうか。

 ところが、覇権を握ったころから元老院では「利」を軸に議論されたという。他国から助太刀を求められた場合、それがローマの利益になるかどうかが話し合われた。ときには、大義名分があるかのように装われた陰謀が行われたことも稀ではなかった。兵士といえば、他国から奪った富におぼれる傾向が日に日に強くなった。パンとサーカスや、性の乱れ、貴族の食事の汚さは有名である。こういう兵士が強いわけがない。しかも、戦争には大義名分がないとすれば、どうして力を発揮できようか。どのような悪人でも、戦争を仕掛ける際は大義名分を掲げる。それは、人の心には良心というものがあってそれに一致しなければ人は生命力を発揮できないのだ。しまいにはローマ市民は戦争で使い物にならないのでカエサルなどは積極的にガリア地方から兵士を集めることとなった。カエサル以降のローマはグダグダである。かといって敵らしい敵もいないので数百年かけて滅び去ることとなった。

 ローマはなぜ滅びたかという議論はいろいろあって、とても面白いことだ。私は義と利がローマの治乱興亡のキーワードであると思う。富はむしろ必要以上には無い方が良いのではなかろうか。質実剛健の精神がローマに覇権を取らしめ、覇権による富裕がローマを骨抜きにしてしまった。これは現代に通じるものがあると思う。現代人に、勃興期のローマ兵士のように生命力がみなぎっているだろうか。

 コロナでの指導者や人々の対応も「義」と「利」が大事なキーワードかもしれないと思っている。前回の記事ではコロナは一服すると書いたが、なんだか不安になってきた。英中銀や米中銀のなりふり構っていられない対応はいかがなものだろうか。そこに義はあるんだろうか。

コロナが強敵なのではない。社会が弱く感じるのだ。

 

比較として、150年ほど前のアメリカで干ばつが起こった時に農民援助法案を拒否したアメリカ大統領の演説を引用してみる。

「不幸な同胞を救うためには、常に国民の友情と慈愛を信頼することができる。

…かかる場合に、連邦政府が援助すると、政府による温情主義的保護をあてにする気持ちを助長し、わが国民の不屈の精神を弱め、同胞愛の絆を強化する親切な気持ちや行動をとりにくくする」