ああああのブログ

相場とか哲学の殴り書き。

日本の今後の流れを予想

 日本衰退論はほぼ世間の合意が得られたように思う。では今後どうなるのか、どうすればよいのだろうか。経済成長の復活を求める声が多数派のように思うが、これはどうだろう。そもそも、1990年代に経済成長のピークを極めた時の雰囲気は、私としては「飽きた」であったように思う。サラリーマン的生き方に飽き他の生き方を追求しようとする雰囲気、物質的豊かさに飽き精神的豊かさを求める雰囲気、これらは確かに濃厚にあったように思う。これらを裏付けるいくつかの証拠はある。子供たちの理系離れはどうして起こっただろう。理系こそ、現代の科学技術を支えてきた基礎ではないか。理系離れの理由はシンプルで、科学技術に飽きたのだろう。今においても日本において理系の学問が興隆しているなどという話は聞いたことが無い。(ここでいう学問は受験勉強とは違う。受験勉強は好奇心を犠牲にして立身出世のためにやるもので、学問は立身出世を犠牲にして好奇心を満足させるものだ)基礎がおろそかになっている中、いくら上から声を大にして経済成長を叫んでも空しいだけではないだろうか。加えて、地球温暖化も経済成長の重石になる。移民論もあるが、アメリカのように富で頭脳移民を引き付けるというのではなく、単純労働者を安く使いたいという思惑ではうまくいかないだろう。とにかく経済成長はしにくい、というのが大筋の流れと思う。

 とはいえ、だ。投機家的視点で見れば偏りがあるようにも思う。世間は経済成長に執着しすぎているのではないだろうか。仮に有り余るほどお金を持っているとしても、そのこと自体にはあまり意味が無い。遊んでばかりいるというのは一種の苦行で、退屈で死にそうになるのがオチなのである。金持ちになった人がときどき愚痴を言うに、四苦八苦していたころの方が楽しかった、と。経済成長ということに囚われないで、別にそんなもんはいらんという視点の方が面白いんじゃないかと思う。金儲けに囚われないならば、日本にも面白いものはいくつかある。意外に思われるだろうが、その一つは宗教である。宗教と聞けば、無視されるか白眼視されるのが常であるが、そこが投機家的視点からのねらい目である。(結局、無条件に宗教を批判する人というのは空海親鸞の本を読んだこともないし、禅の文化に触れたこともないのだ。)日本が経済成長しにくいとなれば、どうしても貧しくなって死を意識する瞬間が増えるに違いない。しかも、心の豊かさとは何かというのは潜在的現代日本人の需要は存在した。そういうわけで、前述の日本固有の宗教の復古運動や、宗教の進化は起こると思われる。まぁ堅苦しく言わなくても、「パスカルの賭け」よろしく、宗教というものは信じていた方が人生が良くなる期待値が高くなる。なぜなら、死後のことに目を向けることによって、短期的欲望を抑え、長期的視点から人生を構築する癖がつくのであるから。