ああああのブログ

相場とか哲学の殴り書き。

禅と相場

「日本の弓術」という本がある。外国人である筆者が、日本の弓道を学んだ体験談だ。言うまでもないが、日本の武道は江戸時代前後に禅の思想を取り入れ、敵を殺すというよりも自己の精神練磨のものに進化した。禅を言葉で言うのは難しい。私もよくわからないのだからなおさら言葉では言えない。「日本の弓術」の中で筆者の師匠はこのように言う。「的にあてることを考えてはいけない。ただ弓を引き 矢が離れるのを待って射当てるのだ。」一見して非合理的・逆説的な言葉は禅特有のものだ。禅は意識を捨てよと言う(無心になれ)。意識を捨て去った先に真理がある、と。意識を捨ててどうして思考が出来るのだろうか?思考は脳の産物である。私の推測だが脳以前の生物の機能、それに頼れと禅は言っているのではないか。いわば本能に頼れと。本能というといかにも劣等機能のように現代の科学は教える。しかし私はそうではないと以前の記事でも言ってきた。例えば、犬である。離れた場所に居る飼い主の危機を悟って騒ぎだしたり、その場所に駆けつけて救助する…飼い主が家出したら、場所も知らないはずなのに飼い犬が追いかけてきた…。犬に限ってもこのような話が出てくる。科学では解き明かせない本能の神秘的機能である。

 この神秘的機能を相場に生かせたらどんなに素晴らしいか、と怠け者の私は考えた。似たような話はいくつか見たことがある。恐らくやれば出来るんだと思う。例えば、本の「ゾーン心理学」は禅的トレードと言っても差支えないのではなかろうか。恐怖心や欲望なしに売買するとか、鳥や魚の群れのごとく相場の流れを掴むとか、思考を排除したような記述はいくつかあった。そもそも、「ゾーン」という言葉はスポーツ選手が無意識的に動いている状態(そして活躍する)なのだから、やはり禅と共通する部分が大きい、ほぼ同じことを言っているように思う。ツイッターでもよく見るのは「指が勝手に動いていた」という表現である。これこそ、ゾーン状態であり、無心の状態ではないだろうか。私もいくらか経験はあるがそういうときのトレードは勝率が明らかに高いと思う。いわば、的にあてることを考えずに、自然に矢が離れている状態と同じと言っていいのではないだろうか。

 こっち方向は常識的にはかなり危険な感じがするだろうが、せっかく日本に禅というものがあるのだから日本語がわかる人には面白い趣向ではなかろうか。