ああああのブログ

相場とか哲学の殴り書き。

薬に頼らず頭痛を治した方法

TLを見ていると頭痛持ちがわりと居るようだ。

私もかつて吐き気を催すほどひどい頭痛持ちだったが今は頭痛がどうして発生したか把握したのであまり悩まなくなったのでその手法を共有しようと思う。

といっても人によって条件は異なるだろうから効能の保証はもちろんない。

 

なぜ頭痛が発生するのか、私の場合は2通りあった。

わかりやすい方の原因はカフェイン中毒による頭痛。

コーヒーを飲まない日、けだるくて頭痛も起こっていた。

コーヒーを飲んでいる日は気分は快活で頭痛はなかった。

 

 

 もう一つは、「嫌なことをしている」とき頭痛が発生していた。

主に、学校(中学・高校)と会社でだった。

ただ、たとえ嫌でも学校に行くことも会社に行くことも普通だと思っていたので

頭痛は仕方のないこと、生まれつきの不運だと思っていた。

が、大学に行っていたとき(サボリまくり)、無職のときなどは頭痛が発生しなかった。

このことから、嫌なことをしているとき頭痛が発生し、自由に過ごしていたときは頭痛が発生しないという傾向をつかむことができた。

学校や会社というのは他律的な場所である。嫌なこともしなければならない。

会社に適応していたり自由に振舞えているなら良いが、そうでなければ捕虜のような生活だ。

時間が長くて長くてしょうがない。

私の頭痛は腫瘍など由来ではなく神経症の一種だが、神経症というのは本能による反抗なのである。

本能がやりたくないことを人間がやっている場合、神経とか内臓とか血管など意識以外の本能で動いている部分が反乱を起こすのだ。

したがって、頭痛を起こさない方法はやりたくないことはしないこと。

やりたいことをすることだ。

 

注意点は、以前の記事でも述べたが人間の精神は二系統あるということ。(*参考 ベルクソン「創造的進化」)

おおざっぱに説明すれば、脳は物質を中心とした秩序で、本能は心を基準にした秩序である。

精神は脳と心で成り立っている。

お金や道具が増えて喜ぶのは脳だが心は大して喜ばない。

例えば他人から露骨にお金を奪っても脳は喜ぶが心痛が起こる。

心が喜ぶのは創造、調和、自由だ。不自由で、クリエイティブではないことをしていると心が反乱を起こす。それの一例が神経症である。

以上が私の個人的医療法、医療哲学である。

 

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