ああああのブログ

相場とか哲学の殴り書き。

少子化の真の原因

 少子化の原因として、女性が社会進出するようになったからだというのが少子化の原因の定説であろう。しかし私はそれは違うと思う。原因は生命力の低下…わかりやすく言えば、イキイキと生きている人が減ったからだと思う。会社や役所でつまらない労働をして、休みにはスマホをポチポチしているような人がいるとすれば、その人に魅力を感じるだろうか?感じないのである。極端な比較として歴史人物をあげてみよう。坂本龍馬高杉晋作はどうだろう。男から見ても魅力的ではあるまいか。彼らはイキイキと生きた。現代社会は魅力のない人を量産してしまった疑いが強いのではなかろうか。人間に魅力がなければ、恋愛も発生しにくくなる。

 また、性欲というものはイキイキとして生きているときこそ旺盛になるものだ。暗く落ち込んでいるときは性欲も落ち込むものであろうと思う。したがって、恋愛発生率も性欲も落ちたゆえに少子化に陥ったのである。

 この少子化というのは古代ローマギリシャでも起こったことらしい。そこでは、物質的豊かさにおぼれた人々があった。物質というものは必要以上にあると人間をダメにするのかもしれない。なぜなら、物質があればそれ以上の努力はしなくなるものだから。その物質が自力で入手したものでなく親や社会からだとすればなおさらだ。そういう、自力で努力しない人間に何が期待されるであろう。努力しない人間、活動的でない人間に魅力はなし、社会も緩んできてしまい、ついには滅びの道を歩むのであった。

 少子化の原因として子育ての困難さをあげる人もある。しかしそれも些細なことであろう。恋愛や性欲というものは障害があればあるほど燃えるものだ。にもかかわらず少子化になるというのは人間が根本的に弱っているからなのだ。あまりに他律的すぎる会社や役所は人間から自主性、自由、創造を奪ってしまった。ゆえに、精神がしおれてしまって人間の魅力を失い、恋愛が発生せず、あるいは性欲が落ちた。というのが私の意見である。

薬に頼らず頭痛を治した方法

TLを見ていると頭痛持ちがわりと居るようだ。

私もかつて吐き気を催すほどひどい頭痛持ちだったが今は頭痛がどうして発生したか把握したのであまり悩まなくなったのでその手法を共有しようと思う。

といっても人によって条件は異なるだろうから効能の保証はもちろんない。

 

なぜ頭痛が発生するのか、私の場合は2通りあった。

わかりやすい方の原因はカフェイン中毒による頭痛。

コーヒーを飲まない日、けだるくて頭痛も起こっていた。

コーヒーを飲んでいる日は気分は快活で頭痛はなかった。

 

 

 もう一つは、「嫌なことをしている」とき頭痛が発生していた。

主に、学校(中学・高校)と会社でだった。

ただ、たとえ嫌でも学校に行くことも会社に行くことも普通だと思っていたので

頭痛は仕方のないこと、生まれつきの不運だと思っていた。

が、大学に行っていたとき(サボリまくり)、無職のときなどは頭痛が発生しなかった。

このことから、嫌なことをしているとき頭痛が発生し、自由に過ごしていたときは頭痛が発生しないという傾向をつかむことができた。

学校や会社というのは他律的な場所である。嫌なこともしなければならない。

会社に適応していたり自由に振舞えているなら良いが、そうでなければ捕虜のような生活だ。

時間が長くて長くてしょうがない。

私の頭痛は腫瘍など由来ではなく神経症の一種だが、神経症というのは本能による反抗なのである。

本能がやりたくないことを人間がやっている場合、神経とか内臓とか血管など意識以外の本能で動いている部分が反乱を起こすのだ。

したがって、頭痛を起こさない方法はやりたくないことはしないこと。

やりたいことをすることだ。

 

注意点は、以前の記事でも述べたが人間の精神は二系統あるということ。(*参考 ベルクソン「創造的進化」)

おおざっぱに説明すれば、脳は物質を中心とした秩序で、本能は心を基準にした秩序である。

精神は脳と心で成り立っている。

お金や道具が増えて喜ぶのは脳だが心は大して喜ばない。

例えば他人から露骨にお金を奪っても脳は喜ぶが心痛が起こる。

心が喜ぶのは創造、調和、自由だ。不自由で、クリエイティブではないことをしていると心が反乱を起こす。それの一例が神経症である。

以上が私の個人的医療法、医療哲学である。

 

*

アメリカの衰退について

アメリカの下落トレンドを感じたのでメモ。

 

そもそも、なぜアメリカは発展したのか。

それは二つの土台があった。

一つは宗教が盛んであったこと。

宗教というと胡散臭い目で見る人が多いと思うが理屈はシンプルである。

要するに、アメリカ人の宗教というのは禁欲と節制、誠実さを促していたということだ。

これが、資本主義を育成する最高の態度なのである。

遠い目標のために、小さな欲望を我慢する。

例えば、今風に言えばスマホのガチャにお金を投じるのと、

それを我慢して有用な投資資金にするのとどちらが健全な資本主義だろうということだ。

誠実さというのも最も重要なことだ。

相手との取引を誠実に実行する。そうすれば、お互いが得をする。

お互いが得をすれば、社会全体が発展する。簡単な理屈である。

一方が不誠実であればどちらかが損をする。社会全体でプラスにならない。

悪いこと(短期的な欲望に身を任せることや、ウソをつくこと)をすれば神から罰せられるという精神的な態度がいかに健全な資本主義を作るのに役立っているか。シンプルな理屈だと思うがどうだろう。

 

ところが、近年アメリカでは無宗教が非常に増えてきたということだ。

無宗教が増える理由もまたシンプルなのだが機会があれば別の記事で書こうと思う。

とにかく無宗教が増えている。

で、節制と禁欲、誠実さというものを宗教なしで維持出来ているのだろうかということだ。

それは怪しく感じる。アメリカには行ったことがないし、知り合いもいないのでよくよく観察して結論を出すべきだとは思うが

同じ無宗教である我が国を見ればおおよその検討はつくと言って良いのではなかろうか。

アメリカでは、肥満が増えているということは前から知られていることだ。

あるいは、クレジットカードでの過大な消費。

ツイッターで見たことだが、アメリカ企業はメールに重要な情報を書かないという習慣があるそうだ。

なにか残っていれば裁判で不利になるからとハッキリ言っていた。

アメリカで弁護士をやっている人がつぶやいていた)

誠実に取引していれば、べつに重大な情報がメールに残っていても問題はないだろう。

なにか不誠実なことをしているからこのような習慣が出来たのではなかろうか。

どうも、節制・禁欲・誠実という資本主義を健全にする要素が失われていると感じるのだ。

 

もう一つ、アメリカを強力にした土台の一つは地方分権ということだ。

これも、宗教に続いて意外に思う人が多いかもしれない。

なぜなら、今の日本は歴史上まれに見るほど中央集権だからだ。

しかし、地方分権というものがいかにアメリカを良くしたかはごくシンプルな理屈である。

民主主義というものは、国民全体のレベルで政府のレベルが決まる。

当たり前の理屈である。

地方分権というものは、要するに住民自身が自治を行うということだ。

われわれ日本人は、中央集権的なので住民自治というものはほとんどない。役人におまかせである。

では、住民自治が行われている国とそうでない国、どちらが民主主義国として健全だろうか?ということだ。

住民自治によって、住民自身の政治経験が積まれるのである。

住民自身の政治経験レベルが高いほうが、どう考えても民主国としてのレベルも高かろう。

(シンプルな理屈だが、経験がないと共感しにくいかもしれない。)

 

ところが、この地方分権アメリカでは廃れているらしい。

(これは孤独なボウリングという本で読んだだけなので不確かである可能性もある)

 

アメリカは、発展を支えてきた土台が腐った。(らしい。)

 

 

以上、らしい、らしい。と推論を書いてきた。

最近はエビデンスが、数字が、とかうるさいが、最終的に直観で決めていいと私は思う。

要するに、最近のアメリカから活力を感じられるか?ということだ。

一人の人間として言うが、どうも生気がない。アメリカは衰退するだろう。

 

日本のことは言うまでもないことだ。

 

心の特徴について

 人間のメンタルは脳だけではない。

脳は意識的である。手を動かしたり、計算したり、記憶したり。

体の器官で、意識的に制御できるものと無意識的に動いているものがある。

例えば胃は無意識的に動いている。意識的に動かすことは出来ない。

脳によって意識的に制御できるものを知性によるものと言うとするなら、

無意識的に動いているものは本能によるものと言えよう。

胃などがストレスで調子が悪くなるときがあることはよく知られている。

ストレスとは何だろう。なぜストレスで本能的に動いている機能が鈍るのだろう。

 

生物の歴史を長い目で見てみると、いくつかのトレンドがあると私は思う。

まず、生物と無生物が決定的に違うのは活動できるかどうかだ。

次に、生物は進化するごとに美しくなっているということだ。

深海の原始生物と新しい種である鳥や哺乳類、その間の生物を比べれば

生物が徐々に美しくなっていることは傾向として認められると思う。

次に、創造的に進化しているということだ。

進化するごとに、それまで出来なかったことが可能になっている。

 

活動、美、創造。この3つは生物としてのトレンドと私は考える。

そしてストレスとは、このトレンドから外れたときに感じるものであると経験的に思う。

例えば、これは経験済みなのだが無職でゴロゴロしているとしよう。

これが意外と退屈で死にそうになるのだ。人は活動していないと駄目になる。

無職でもいいから何かしなければならないのだ。

ブラック企業で働くとしよう。毎日が単調で何のためにやってるかわからない。

ただ生きるためにお金を稼ぐ毎日。なんのための人生だろう。

非創造的な日常はストレスである。

(仕事が単調でも趣味や家庭で創造的要素を補っている人も多いだろうが)

次に、美であることだが何も外見の美しさに限らない。

「我」の上に「美」を置いて「義」と書く。

私欲を後にして世に貢献した人を涼やかであると評するのは昔からの人の習性であろう。

まぁバランスだがあんまり私欲を追求する人は汚いと言われる。

 

 

この3つのトレンドに反することがストレスとなり、本能で動いている器官を蝕んでしまう。

わかりやすく、本能=心であると言っていいと思う

ストレスは心をむしばむ。メンタルを病む。

経験的にわれわれはこれを知っていると言っていいだろう。

 

ジェシー・リバモアという相場師でそれを説明してみようと思う。

 

彼は空売りの達人で、徒手空拳で億万長者に成り上がった。

豪邸に運転手付きの車、袋いっぱいの宝石。

彼の奥さんと共に毎夜パーティ三昧で酔っ払っていたという。

が、このような生活は生物のトレンドの観点から見ていかがなものであろう。

創造的だろうか?活動的だろうか?美だろうか?

バモアはまだトレーダーとしての仕事をしているからまだマシであるが

奥さんと息子は何不自由なく、遊んで暮らした。

こういう生活は、生物としてのトレンドに逆らっているのである。

ある日、双方酔ったあげく奥さんは息子を銃で撃ってしまったという。

 

 

母親が放蕩する息子をたしなめたところ、逆上した息子は自分を撃つようピストルを母親に渡したという。

こういう事件が、心の底から満足している生活の上から発生するだろうか?

遊びもほどほど必要だが、遊んでばかりの生活は空虚である。

 

が、一方でこのような生活にすっかり満足してしまうのが脳なのである。

先に記事にしたように脳は道具の製作に伴って発達したため(という説を私は採った)

物質をなるたけ多く欲しがる傾向もあるのだ。

脳は満足しているが、心は不満。

このようなメンタルのもつれ合いが起こるとどうなるか。

ひどい場合は文字通りの精神分裂症となるのである。

脳と心の分裂を文字通り分裂症というのだ。

(今は統合失調症というが要するに脳と心の統合が失調しているということだ)

 

このような家庭状態でリバモアもまたメンタルが不調になり、トレードでも失敗し自殺してしまう。

トレードで失敗したから自殺したわけではない。

家庭由来の、ひいては家庭を作ってきたリバモアが生物のトレンドに逆張りしてしまったことが原因で自殺したのであった。

 

映画監督の宮崎駿は、今は神経症の時代であると言ったことがある。

その通りである。人々は物質的繁栄ばかりを求め、生物のトレンドから外れ、苦しんでいる。

 

トレードは、健全なメンタルで行わなければならない。

脳の計算能力、心の直観をどうして不安定なメンタルで運用できるだろうか。

生物のトレンドに順張りでなければいけない。それが心の健康を保つ方法なのだ。

偉そうなことを書いたが、自分は相場歴1年かそこらである。

口ばっかりで退場することのないよう、気をつけたいものだ。

次の記事は、直観のことか、感情を書きたいと思う。

 

参考 リチャード スミッテン 「世紀の相場師ジェシー・リバモア」 

 

 

 

進化から見た脳の特徴

 メンタルコントロールは相場において最も重要なことの一つとよく言われている。

そもそもメンタルとは何なのか?

この問いは、これから相場に限らず需要が出てくるのではないかと思いけっこう時間をかけて調べている。

ツイッターのみなさんには色々勉強させてもらったりツイッターボットなどでお世話になっているので

今から書くことが役に立とうが立つまいが、お礼の姿勢くらいは見せなければなという気持ちでブログに書こうかなと思った

 

 

 

 まずは、脳の特徴から書いてみようと思う。

(メンタルとは脳だけではない。それは、後で書こうと思う)

 

言うまでもなく人間の脳は、他の動物より優れている。

なぜ、優れた脳を持ったのか。

それはいくつもの仮説はあるが、これだなと思った説を書いていこうと思う

それは、「人間の脳は道具の製作によって発達した」というものである。

狩猟や採集で脳が発達するなら他の動物も人間と同じくらい頭が良くなるはずだがそうはなっていない。

人間だけが、道具を製作できる。

道具を製作するには材料の重さや長さの計算をしなければならない。

作り方を記憶しなければならない。

こうした計算や記憶の訓練で脳は発達したのだという説は受け入れやすいのではなかろうか。

私が面白いなと思った説は、さらにこう続ける。

「人間の脳は道具の製作によって発達した。

したがって、脳は物質や固定した状況の扱いに長けている。

しかし、生物や流動的な状況の扱いは不得手である。

それどころか、生物や流動的な状況をも物質や固定的な状況として捉えてしまう」

 

これはどういうことか一言で言えばこうだ。

「脳は固定概念を作り続けてしまう」

この脳の特徴は道具の製作においてはまったく問題にならない。

石や材木は少なくとも道具の製作においてずっと石や材木であり続けるからだ。

1+1は永久に2である。

記憶とは、物事を固定化させているのだ。

が、これが生物や流動的な状況となると問題になってくるの。

 

例えば、子供のころ帰省などで会った親戚にこう言われたことはないだろうか

「大きくなったね!」

親戚の人の記憶の中では子供は以前に会った小さい子供のままで、ずっとそうであり続けるという固定概念を持ってしまっているのだ。

石がずっと石であり続けるように。

 

相場でよくあると思われるパターンで例えてみよう。

強烈な下落相場が何ヶ月も続いたとする。

すると、人の頭脳はこう判断するのだ。“今は下落相場だ”

これが道具の製作なら都合が良いのだ。

材料の石や材木はずっと石や材木であり続ける。

材料の組み立て方や材料の長さ・重さなどを記憶しておけばいい。

固定概念が記憶に役立つのである。

1+1=2に決まっている。

そういう決まりきった記憶の積み重ねが脳は得意なのだ。

これが相場だと邪魔になってくる。

“今は下落相場だ”という固定概念をもってしまえばどうなるだろう。

上昇相場に転じても空売りをしてしまう。

そんな簡単な罠にひっかかるかと思われるかもしれないが

実際そうだったのである。

今年(2019年)のBTCがそうだった。

6000ドルのサポートを割って3000ドルにまでほんの1ヶ月ほどで下がってしまい、

その後3ヶ月ほど下値でウロウロしていた。

ようやく上昇に転じて4000ドル以上に上がったとき、

多数の人は局面で空売りを仕掛けた。

下落相場は続いていると判断したのだろう。

私も下落相場が続いていてたまたま反発しただけだと思っていた。

下落相場だという固定概念に囚われていたのだ。

今から見てみれば明らかに上昇相場である。

が、当時上昇相場だと思ってロングしていた人の割合は少ないことが

出来高の多いBitMEXの相対的なロングショート比率から見て明らかだ。

これが、固定概念というものの怖さだろう。

 

脳は物質を取り扱うことは得意だが、非物質を取り扱うとき

それを物質であるかのようにしてしまう。

流動的な状況を、固定的に考えてしまう。

例えば石はずっと石であると考えるように下落相場はずっと下落相場だと思い込むのだ。

これが脳の弱点的特徴だ。

 

 そう書いておいて早速、自分が空売りで焼かれてしまった。

BTCはゴミに違いない、下落相場は続行するに違いない。

こうした固定概念が期待値の計算を狂わせてしまったり、

上昇のサインを見逃したり、大したサインではないと判断してしまう。

 

 もう一つ自分のやらかし例を書いてみる。

それは、もしや自分には才能があるのでは?と思ってしまったときだ。

そのときは大儲けしていて、調子に乗っていたのだ。

もし、自分に才能があるという固定概念を持ってしまったらどうなるか。

いつもやっている努力や注意を怠り、結果油断や慢心となって雑なトレードをしてしまうことになる。

そうして、儲けたお金を吐き出してしまった。

本当に才能のある人は謙虚である。天狗になったりせず日々の努力を欠かさない。

 

相場以外の例えも出してみよう。

新しい道具を使い始めるのはいつの時代でも若者である。

老人ほど、新しい道具を使うどころか批判的な目で見るか、無視する傾向がある。

例えば鉄砲がそうだろう。

鎌倉以来の古い家ほど鉄砲に鈍感で、新興の織田信長などは鉄砲をいちはやく軍備に取り入れた。

こういう現象はなぜ起こるかも脳の特徴で説明できる。

年をとっているというのは経験が豊富だということだ。

言い換えれば、記憶・固定概念を豊富にもっているということである。

それに対し若者は経験が少ない。だから、固定概念も少なく新規の物を取り入れやすいのだ。

今となってはなぜ戦国の大名すべてが争って鉄砲を取り入れなかったのかと言うのは簡単だ。

古い家ほど固定概念に囚われ、新興の国は固定概念に囚われていない。

が、みずからの固定概念を破るというのはなかなか難しいものだ。

訓練をするか、あるいは固定概念を捨てざるを得ない状況に陥った者でなければならないだろう。

 

以上述べたことはあくまで仮説をもとにしている。

今更、人間の脳がどう発達したかさかのぼって調べるのは不可能だし、

そういう化石なんかも無いだろう。

が、経験的にこれは正しいなと私は思ったのでつらつらと書いてみた。

 脳の弱点をはっきり認識していることと認識していないのではけっこう差が出るのではないかと思う。

自分は才能がある(ない)、これは上昇(下落・レンジ)相場に違いない、などこのような固定概念はトレードしていく上で大変な罠である。

だからこそ、上級者は口癖のように素早い損切やストップロスの設定を推奨するのだろう。

脳の構造上、流動的な状況を判断するということは間違って当然と考えられるのである。

だから、間違ったときの損を小さくする工夫をしなければならないということだ。

 

この脳の特徴は、今から何十年も前に出版された本で提唱され世界の名著シリーズなどにも収録されているほどだが未だ社会通念になっていない。

その理由の主なものは、現代が科学的裏付けのないものは信用しないという傾向にあるからなのではなかろうか。

科学的裏付けとは、物質や数字による根拠のことである。

このことは逆に、上で説明してきた脳の特徴を裏付けるものとも考えられる。

脳は、何もかもを物質的に扱う。

この特徴がまさに、科学万能主義にさせてしまうのだ。

物質や数字で表せないものは、無いと考える。

これは私は現代の盲点であると思っている。

一つ例を出すが、心は存在するだろうか?

心の存在に科学的裏付けは無い。物質にも数字にもあらわせない。

だから、心は無いのだろうか?

 

科学万能主義は通用しない場面があると私は考える。

が、科学万能主義という常識を捨てることも勇気のいることだと思う。

しかし、未知の探究が面白い。そんな気分で書いた。

 

次の記事は、心の特徴を書きたい。

メンタルとは脳であるという風潮がある。

脳を分析すればメンタルがわかる、と。

私はそう思わない。脳と心である。

 

ベルクソンという人の創造的進化という著書の中の説を参考にした)